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2018年1月31日水曜日

言語

なんとなく、自分が日本語で喋っている時と英語でしゃべっている時で性格が違うと思う。いや、根本的には同じなのだろう(というか同じ)だけど、英語だと声が大きくなってちょっと低くなってガンガン言いたい事言う。

日本語だと元々そんなにしゃべらないけどさらに喋らなくなって聞き役に徹する事が多い。

あと、議論をしたいと思った時に、なんとなく大阪弁や英語を使いたくなる。それは言語の特性上(というか私の勝手に作り上げた妄想上)、

大阪弁、英語→伝える言語
標準語→包みこむ言語

という認識があるからだと思う。話せないけど、スペイン語も伝える言語。ドミニカに行った時にそう思った。なんと言えばいいのかわからないが、やりすぎると攻撃的に聞こえるのがそれらの言語なのかもしれない(私にとって)。それがいいとか悪いではなくて、手持ちのカードが多いと、その状況にふさわしいところでその言語が使えるから、スムーズにいくなぁと思っただけ。

将来、脳みそにチップを入れてすべての言語が簡単に話せる時代が来たら、そういうことになるんじゃないかなと思う。話す内容によって、言語を変えていく。受けても話しても、”一番伝わりやすい状態”で臨むことができる。

ふむ、面白そうだ。

2018年1月12日金曜日

ローガンポールと人種差別

こないだユーチューバーのローガン・ポールが樹海に入ってアカンことになった動画が問題になった。それから次々に彼の差別的発言や行動が発覚している。

これって、アメリカを自由の国だと思っているときついかもしれない。特に、アジア人として考えると、

”アフリカンアメリカンほどの差別は受けないけれど、不快に思うことが多々ある”

ぐらいなので、あまり話題にならない。むろん、ハリウッドにしてもメディアにしてもアジア人の占める割合は大きくない。また皮肉にも、その役が”訛りつきでなければいけない”時もある。アジア人=英語ができない。というレッテルは存在する。2世3世は、英語しか知らない人もいるにも関わらずだ。

そういうステレオタイプが根底にあるので、不愉快なことはある。でも、それを大々的に取り上げずに”我慢してくれ”と言われる。しかも、差別の仕方も(ローガン・ポールは明らかにアカンやつだったけれども)グレーゾーンなのだ。

例えば、この間Uberを使った時、
”英語をしゃべれますか?”
と尋ねられた。 ええ、と言うと、
”あ、よかった。しゃべれない人もいるから一応ね”
と言われて苦笑。

あるいは、バーで酔っ払った白人の女の子に

"You're beautiful. Everyone is beautiful. No matter what your race is! You should be proud of yourself."

と言われて、
"Son of a ..."
と思ったのは記憶に新しい。 それは全てを許容していない。ただ、優しい言葉をかけているように見せて、違いをくっきりさせているだけに見える。”私たちは世間で可愛いと言われる分類に入るけど、入っていないあなただって綺麗なのよ。”という隠喩、インプリケーションが見え隠れする。

"I wish you could say it to me before you drink as hell."

といえばよかったのだろうか。酔っ払ってボロが出るのは会社の飲み会だけじゃない。女子大生も同じだ。

この二つは、怒りの矛先を非常に向けづらい。なぜかっていうと、悪気がないから。 でも、紛れもなく私の顔を見て言われた言葉だ。アジア人だから英語ができないかもしれない。アジア人だから劣等感を抱いているかもしれない。

そんなことないのに!

日本も非常に差別的であるとは思うけれど、アメリカもまた違ったベクトルで差別的だということはちゃんと知る必要がある。ゆくゆく日本がもっと多様化してきた時に(あるかどうかは知らないが)、同じ過ちを繰り返さないために。

2017年10月11日水曜日

Is diversity only for minorities?

 うちの学校にはDiversity Case Competitionというものがある。私は参加しなかったので詳細はわからないけれど、4人チームのうち一人はMinority(Latino, Native American, or African American)でなければいけない。これに何となく疑問を持ってしまうのは私だけだろうか。多分、ケースコンペを この動画を見た後に見つけたからかもしれない。

https://www.ted.com/talks/mellody_hobson_color_blind_or_color_brave

 アメリカというかどこでもそうかもしれないけれど人種は割とタブーである。ちらっと話すと空気が壊れる。どちらかというと言ってはいけない。そういうことを言う前に
Don't take it offensive although it sounds like racism. (怒らないでよね、ちょっと差別的に聞こえるかもしれないけど違うから!)と言われてからササッと差別的なことを言われる時はあるけれども。まぁ、そこは広い心を持たなければやっていけない。ある程度の妥協は必要である。

 そんな中で残念ながら自由の国アメリカの人種差別はいつまでたっても消えることがなかった。スピーチ冒頭で言っていたように、African Americanというだけで、会社のトップではない、と思われてしまうこともなくはない。だが、あえてこの不快感の中喋ることで後ろに隠してごまかすことをやめることができるのではないか、というのがMelody Hobsonの主張である。本当に差別をなくしたいのならそういうオープンな心も必要なのかもしれない。

 これを見ると、ケースコンペの”マイノリティーが必要”という縛りがどうなのだろうかと思ってしまう。タイトルにもあるように、Diversity=Minoritiesという式が存在するのはその裏に人種による線引きをしているからなのではないか? 私たちアジア人だっていろんな国がある。白人だったところで同じことが言える。一人一人が複雑な人種の混ざりを経て、今ここに存在している。多様性をというのならば、そういうことを多様性といったっていいはずだ。

 企業も多様性を掲げるところは多い。ただ、それを本当の意味で受け取っている企業は少ない気がする。Diversity=Minoritiesではない。Diversity=All racesということを分からないといけない気がする。

 

2017年10月7日土曜日

短い爪が示すものとは

 大学に来て驚いたことは、爪を噛む人が多いこと。カレッジではなく大学生だからかもしれないけれど、いい歳した子供(そもそも大学生を子供と呼んでいいのかは微妙だけれど)が、爪を噛んでいるところを見るとなんとも言えない気持ちになる。

 私は探偵まがいのことをするのが個人的に好きなので、人の手をよくみる。それは主に結婚指輪があるかどうかを見るための行為だったけれど、こちらに来てからはどれだけストレスを抱えているかの指針にもなった。時々いるのだ。本当に爪の半分ぐらいがなくて、切り口がギザギザしている人が。それを知ってどうするかというと全くどうもしないし、しゃべりもしないのだけれど、勝手に大丈夫かしらと心配している。見ていて痛々しい。

 でも、爪を噛みたくなる気持ちがわからなくもない。学生生活はつらい。高校生の延長上のようなことをしている気分に陥る。前にも書いたけれど、成績は絶対に見られる項目なので、常に勉強をして良い点を取らなければと思ってしまう。それに、グループワークが多い授業もあるから、自分一人で何でもかんでもできるわけではない。ストレスがたまる人にはたまるだろう。

 私にはリクルーターの人にいつも尋ねる質問がある。
「学校の授業で役に立ったものはありますか?」
答えは0−10%ほどというのが主。脱力したくなる。日本でこの答えが返ってくるのはなんとなく予想できる。けど、生活の6、7割を勉強に充てたところで結局のところ返ってくるのはほんの10%。爪を噛んでいる人は、そんなことをしてないで、開放的になった方がいいのかもしれないと思うレベルである。

 学問と仕事が違うのは知っている。学校は教育を受けるところであるので、脳の使い方も、学ぶ目的も違う。だから勉強すること自体が使えないことだとは思っていない。ただ、それが計ることができる 指針であるからといって、就活の一つの標準にするのはいかがなものだろうか。

 学生が爪を噛むことなく、単純に学ぶために学校へ行く日が来るといいのだけれど、まだまだ大学生の爪は短いままかもしれない。

2017年10月6日金曜日

ラスベガスの銃撃事件と銃社会について

 ラスベガスで銃撃事件があった。前代未聞の大量殺人だとか。でもそれは去年も確か聞いたことがあって、毎年毎年嫌味にも記録が更新されていることがわかる。ラスベガスで楽しくバカンスだったつもりが一瞬にして悲劇に変わってしまった。無差別で酷いことだと思う。また、犯行は用意周到にされていたらしく、警備が薄い32階のテラスから売っていたとのこと。容疑者は警察が来る前にすでに死んでいる。

 これを踏まえて今議論されているのは、銃社会がいいものかどうかということだろう。日本は銃社会ではないので、ライセンスがなければ銃刀法違反で逮捕される。けど、アメリカはそうではない。狩猟や単純にレクリエーションとして銃を使う人がいる。そして、家に銃を置いてある人は、少なくない。 それがこう言った銃を使う犯行をしやすい環境を作っているのだという主張がある。

 けれど、それで銃を持つことをやめてしまっていいのだろうか? 法を守るのはいつだって市民であって犯罪者ではない。犯罪者は、法があろうがなかろうが、銃を持つだろう。目の前に銃を向けられて対処の仕方がわからなければ、もっと死人が増えるだけではないか? この事件を見てそんなことを言っていた教授を思い出した。

 この事件では止めようがないかもしれないけれど、前に学校でマスシューティングの事件があった。その時、たくさんの児童が亡くなったのだけれど、犯人はたった一人。銃は無数に弾が出てくるわけではないのだから、弾変えの時は打てなくなる。教室に40人、人がいるのであれば弾変えの間に組み伏せることができなかっただろうか? 組伏せなくてもいい。椅子か机を投げたり逃げ出したりすることで、銃撃を遅らせることだってできたはずだ。”弾を変えている間は打つことができない”、という銃を持つ人ならば当たり前に知っていることを知らなかったため、誰も動けなかった。もし誰かが知っていたら、助けられた命もあったのではないか、というのが彼の見解だった。

 また、映画館には時々”警備員は銃を持っていません”と掲げているところがあるらしい。銃を持たずに銃社会に向けてメッセージをということなのだろう。でも、犯罪者側からしたらどうだろうか? 武器を持たない警備員がたくさんいますよ、さあどうぞ撃ってください。そういうメッセージになる。

 銃は危険だ。それは誰もが知っている。個人的には銃はなくした方がいいと思う。絶対にいい結果をもたらすことはないのだから。けれど、それを抑圧したからといってこの銃撃事件は防げただろうか? そして、それは銃をなくすということにつながるだろうか。それは、問題を背後に隠して、私たちは銃は良くないから取り上げますね。と言っているようにも聞こえる。それはとても聞こえが良く、積極的に銃の根絶へと取り組んでいるように見えるかもしれない。でも、それに伴って実際に犯罪率が低下するのかと思うと、ことはそう簡単にはいかないのかもしれない。

2017年10月4日水曜日

プレゼンの授業と、反省文

 プレゼンのクラスは、必修科目である。昔から人の前に出るのが嫌いだった私は、見事散々なフィードバックをもらった。落ち込むけれど、ありがたい。というのも、こんなにひどいとは思っていなかったからだ。そしてこれは日本語の時にだって通用する。話すのは苦手。それでも人前で話す機会は沢山ある。

 まず言われたのが、声のトーンが一定だということ。もともと棒読み傾向にあるのに加えて、英語は日本語よりもアップダウンが激しい言語。だから、よりモノトーンに聞こえるのかもしれない。どこに強弱をつけるのか、ちゃんとスクリプトを考えて、演劇みたいに頭に叩き込んだ方がいいのかもしれない。表情も乏しいと言われた。愛想がないらしい。ちなみに愛想はaffabilityという。形容詞はaffable。
ex) You should show your affable personality.
あなたの愛想のいいところを見せるべきだよ。

 愛想がないのは緊張は大きい。あともうこれは自分の性格だけれど、あまり表情が変化しないと言われる。眉毛を動かすのがキーらしいから、そちらはもう少しなんとかしたい。太眉だし、できるようになれば効果はあると思われる。愛想がないと言われたのは初めてだしなかなかぐさっとくる。笑ってるつもりだったけれどそうでもなかったらしい。本当、自分が思っているのと、他人が見ている自分は全く別物であることを実感した。

 あと、知らないうちに喋っている間に体重移動してちゃんと立っていないらしいのでそれも直したい。……難しいことが沢山だけれどもこれらはほんの序の口。

  私の最大の欠点はしゃべり方がChoppyであること。文の途中で考え込んでしまうのがよくないらしい。これを見た瞬間に
「友達にも言われたああああ」
と頭を抱えてしまった。ちょうど先週ぐらいに言われた。多分頭としゃべりが上手く連動していないんだと思う。頭の回転が遅いのかもしれない。 沢山Umというのも(Fillerという)よくない。これらは普段の生活でもやってしまうので自分での矯正が必要な項目である。とりあえず一文話し終わってから一言おくようにと心がけてみたい。無意識にやっていることだから、意識的に変えるのは難しい。けれどこれができるようにならないと私は死亡決定なので、なんとかしなければと思う。とりあえずTEDでも真似してみるか。

 あとは視線が一点になるのがよくない。ちゃんと見渡してと言われた。これは練習しようと思う。苦手、本当に難しいけれど、ちゃんと聴衆を気にしているよということを見せるにはそういうことをしなければいけないだろう。

 これが二回目のプレゼンのフィードバックだけれど、生徒が30人ぐらいいて、一人一人にしっかり時間をかけていると感じた。 心のそこからお疲れ様と教授に言いたい。いや、こんなにちゃんとアドバイスくれる人初めてだから感動している。プレゼンメンバーで先生の真似をしてゲラゲラ笑ってしまったことに罪悪感を覚えるぐらいには。

 ちなみに自分のプレゼンを見なくてはいけないという苦行をクラス内でしなければいけなかった。辛い。見ていても聞いていても辛い 。なんとかしなければいけないと心のそこから思った。くわばらくわばら。

2017年10月1日日曜日

泣ける映画

 感動する映画は沢山ある。そして思わず涙がこぼれてしまう人もいるのではないかと思う。でも、私にとって”泣ける”映画は、私が当てはまりそうな場面だったりする。「親、祖父母が死ぬ時」これがダメなのだ。子供用の映画でもダメ。涙腺が必ず崩壊する。多分これは、一人暮らしをしていて、もしも自分が死に目に間に合わなかったらと思うとたまらないからだと思う。誰かが死んだのに、

「ごめん、学期の真ん中で来週ミッドタームだから日本に帰れないかもしれない。お葬式はよろしくね」

 なんて言いそうな自分が恐ろしい。誰か自分の大切な人の最期を見届けてあげられなかったら、一生後悔する気がする。それでもそうしてしまいそうな自分を、映画を通して見てしまうのだろう。ボロボロと泣いている自分は感動よりも若干の罪の意識に苛まれているような気がする。実際まだそういう事態にはなっていないのだから、妄想ぐせはよろしくないとは思うが、どうもダメだ。

 そして、今日もう一つ、ボロボロと泣きだす項目が一つ増えた。このユーチューブビデオを見て、泣けた。

https://www.youtube.com/watch?v=uVvbh2_Oh94

 これを見ながら一人部屋でボロボロと泣いてしまった。帽子をかぶった男の子が、「差別された時は強くて気にしないふりするけど、家帰ったら泣いている」と言っていて、どうすればいいのかわからなかった。

 先学期うちの大学で、レイプ事件があった。メールが一斉送信されてきたから覚えている。その時に、アフリカンアメリカンのクラスメイトが、「When I get a mail, I was like "Don't black. Don't black!!"」 と言っていたことを思い出した。アフリカンアメリカンは、悪いイメージを植え付けられているから、これ以上酷くならないようにと思ったらしい。言葉が出ない。

 シリアから来たという女の子が、「もし私が選べるのだったら、シリアに残っていた」と言っていて、なんとなく在日韓国、中国人を思わせた。ビジネスで来た人もいるかもしれない。けど、残りたかったのに来た人だっているだろう。少し前に確か教育費か何かの補助の問題で、「日本人じゃないんだから、援助がなくて当然でしょう」と言っていた人がいて、傷ついた。悲しい。何をもって日本人と言っているのか。ちゃんとした教育を受けることができていない”日本人”に対して、

「日本人だから人のことを助けるわけじゃないでしょう? それとも何? 日本人だから助けない、と言われたらどう思うとかって思わなかったの? っていうか、人には名前があるの。私は日本人ですなんて自己紹介の時に言わない。私は黄間です、という。それからどこから来たのと聞かれて日本人と答えますけどね。子供たちには未来があって、日本の中では学歴がほんのすこしだけ大切だから、同じように教育を受けさせてあげたいと思うことはおかしいこと? 日本語がしゃべれないと大変だから、もう少し援助が欲しいと思うことがダメなこと? 日本は英語が通じるところも限られているんですよ。大変なの。助けが必要なの。どうしても必要だからお願いしているんですよそういう人たちは」

 と言いたい。これを言うのは間違っているかもしれない。あくまで私の個人の意見であるけれど。

 何も変わらないのにと思う。文化が違うし、社会背景が違うのは知っている。けど、みんな喜怒哀楽があることは知っている。私は感情論が好きなのかもしれないけど、感情から論理を考えるように、思考のプロセスを変えてはいかがだろうか。

 虐げられて人が辛そうにしている映画を見たら、どんなに悪い、棒読みの映画だったとしても、きっと私は泣き始めるだろう。泣くことがいいのか悪いのかはまた置いておく。人それぞれの受け取り方はあると思う。けどとりあえず、私は弱いから泣く。それだけ。
 

2017年9月25日月曜日

あなたが突出していることは?

 今は絶賛リクルーティングシーズンである。大企業は来年夏のインターン生を今から応募している。驚くほど早い。まだ半年以上ある。だが、ここでインターンをもらえないとなかなか辛いのもまた事実。どうにかこうにかして三、四年生は死に物狂いでスーツに身を包む。

 日本もそうだけれど、自分の長所と短所、どうしてこの会社なのかを聞かれることなど、ある程度決まっていることは沢山ある。それは自分の中からのものなのでいってしまえばなんと言ってもいい。ただ、”人と比べて”と言われるとなかなか困る。

 例えば、私は環境にうまく適応できます。と言いたい時、長所であれば、それで攻めて行っても構わない。けれど他者と比べた場合はどうだろうか。親の仕事の都合なんかで10回も20回も 転々と引っ越している人には勝つことができない。ハーフの人なんかと比べて、留学生はやっぱりただの留学生である。そもそも学生ごときに人より秀でていることを聞いても大した答えはでてこないと思うのは、私だけだろうか。20−30年生きている人間が成し遂げられることなど限られているきがする。それも企業にとってはただの言い訳に聞こえるのだろう。聞かれる度合いは高いから用意しておかねばならない質問の一つを、私は考えあぐねている。

 日本には謙遜の文化があるけれど、アメリカにはあまりない。できるもんはできるし、できないものはできない。インタビューなんて特に自分を売る行為でしかない。苦々しげに見えないようにするのが精一杯である。

 スーツを着て、2−3時間話すだけで疲れる。ベッドに寝転がって何もしたくないと思ってしまうところまだまだ人として成長が必要だなと思ってしまう。商品をよくするか、セールス力を磨くか、Tシャツに日本で爆買いしたリラコを着て考えあぐねる今日この頃である。

2017年9月24日日曜日

Smart Dust

 クラスで、今後十年ぐらいで流行するかもしれないもののグラフが出てきた。その中でもSmart Dustという技術を教授が説明してくれた。小さなマイクロチップを空気中に放って情報を集めるというやつ。それが落ちて地面に付着すれば、重さがかかった時に人が、動物か、車か分かるし、足のサイズなんかも明らかになる。浮いているその近くを通れば、敵がどこにいるのか一目瞭然な優れもの。軍事、気象に大いに役立つこと間違いなし。という話だった。

 私の感想は
「アレルギーとかにならないのかしら」
だった。黄色い粉を思い出したから、である。冬から春にかけてやってくるあいつらは、日本全国を鼻水とくしゃみのオンパレードにする。正直私は花粉症ではないのであまり関係ないのだけれど、見ていて辛そう。
花粉は季節ものだけれど、Smart Dustはいつでも宙にただよっている(ようになるかもしれない。)

 ホコリアレルギーならホコリのないところへ行けばいいけど、そうも行かないだろう。それこそSmartなDustは決して人を逃さない! (かもしれない)アレルギーの人が出るかは分からないけども、なったらこの世の地獄である。毎日花粉症……くわばらくわばら。

 いいこととして思いついたのは人体の中を探る時。胃カメラじゃなく、Smart Dustの粉末を飲んでデータを集める日が来るかもしれない。でも、日常的に空気中にあれば、普段からも摂取しているということ。プライバシーなんてあったもんじゃない。データは政府管轄?  リークしたらどうする? 今はないテクノロジーにちょっと恐怖を感じてしまった。できそうで怖い。

2017年9月22日金曜日

映画『The Social Network』を見て感じた人の類似

 えー、ネタバレもあるし、見てないと何言ってるのかわからないと思うので、映画を先に見ることをお勧めします。
 The Social Networkはフェースブックの創始者であるMark Zuckerbergの話である。どこまで忠実に再現されいるのかはわからないけれども、私は個人主義と言われるアメリカで、こういうすったもんだがあるとは、案外日本と似ているではないか、と思ってしまった。
 Markは友人を大切にした。すべてを上手にバランスよく均そうとして、結果としてそれがあまりうまく行かなかっただけではと思う。その一つ一つの決定が間違っていたとは思わない。ビジネスマンとして(というよりも全体的に人として)FacebookのようなでかいポテンシャルをEduardoは持っていなかったと思う。Markは最後まで、彼に「親友だ」と伝え続けていた。それはたった一人の親友を手放したくはない、という葛藤と、どうにか気づいてくれという懇願だったように思う。ただ、Markは決してそれを大々的に言葉にしなかった。遠慮のようなものが生じていた気がする。
 アメリカ人ならスパッと言う。なんてことはない。考え込む人は相手の気持ちを最大まで考慮する。ただ、それは自分の中で内側の人間であった時のみだと思う。Ericaへの仕打ちを見れば、Markが全人類に優しかったわけではないことは一目瞭然。ブログに気分をだーっと書き記しているのは恋愛の一時の感情の高まりかもしれない。けれどBrown Universityをバカにしちゃうところ、全く考えてない。話が少し戻るけれども、Eduardoにだって「お前、マジで使えないからやめろ」と言ってしまってもよかったはずである。
 Markのように、外の人間には割と手当てたり次第暴言を吐きまくり、内の人間には細心の注意を払う人は私の感覚としては多いと思う。外側も適当にいなすのが日本、外側には一語一語はっきりともの申すのがアメリカなのではないだろうか。それは村社会と多様な民族が入り混じるからであるからして云々……というのは、論文で読んでください。
 他にも典型的な日本人っぽい行動の人。(言い方に語弊があるかも知れない、失敬)Seanである。彼は「俺たち、仲間だよね」という仲間意識と、それがあれば自分が危うくなった時に助けてもらえると思っているタイプ。自分が所属しているものに対して、同じだけ、いやそれ以上に見返りを求めるようなそんな人。私の脳裏にも何人か浮かぶ。
 誰かに頼ってないと、心にぽっかりと穴が開く。それを埋めるためだけに人とあって、明るく笑って、ちょっと強気な言葉を言ってしまう。Seanは一時莫大な富を持っていたし、学校へ行っていない(多分)。だからかも知れない。彼が余計に寂しく、必死にMarkに追い縋ろうとしていたのは。
 その粘着質な関係って、日本にないですか? あれ、日本だけだと思ってませんでした? そんなことはない。誰でもどこにいてどういう文化でどういう風に教育を受けたとしても、孤独に耐えられない人はいる。それを誰に向けるかが、ほんの少しだけ違うのかもしれない。

アメリカンドリームなんてどこにもない

 昨今、留学をしたいという人が増えている。私はアメリカ留学をしているので、そこだけしか言及はできないが、まあ日本人はちらほらといる。別にだからなんだと言われればそうなのだが、そんな人たちにまず一言。
「やりたいことがないとエタるぞ」
 1年とか半年で自分探しはなかなかきついものがあると思う。4年でもかなり。というか、気がついた時には手遅れ。(これは私のパターン)日本の大学とは違ってアメリカの場合は成績が重視されるので、勉強が嫌いならなおさら止めたほうがいい。日本でだってできることはあるし、アメリカが日本よりもいい国、だなんて妄想を抱いている人は、現実を見たほうがいい。
 それぞれの国には良いところと悪いところがある。完璧な国なんてものがあれば、皆そこに移り住んでいるのだから。
 だからと言って留学するのはよくないと言っているわけではない。自分自身も視野が広がったし、勉強はとても奥深い。暗記だけで生きていた自分はなんて勿体無い言をしたのだろうか、と思った。Topicにもよるけれども、楽しい時はEssayはとても楽しい。
 ただ、なんとなく来ただけでは、なんとなく帰るだけだぞ。しかも高い金払って。と釘をさしておきたい。留学したいのならば、それなりにそれなりの意志を持っておかないと、楽しんで帰ることになる。残ったものは、なんだろうか。首をかしげたくはないだろうに。そんな言を老婆心ながらに囁いてみようかと思っている。
 ……とはいえ、自分の性格上真面目になんてやってらんないので8割がたくだらないものになると思う。#日常 と見たらくだらないこと。#真面目 とみたらお節介にも持論を展開していくのだろうと思って欲しい。

言語

なんとなく、自分が日本語で喋っている時と英語でしゃべっている時で性格が違うと思う。いや、根本的には同じなのだろう(というか同じ)だけど、英語だと声が大きくなってちょっと低くなってガンガン言いたい事言う。 日本語だと元々そんなにしゃべらないけどさらに喋らなくなって聞き役に徹する...