2017年10月6日金曜日

ラスベガスの銃撃事件と銃社会について

 ラスベガスで銃撃事件があった。前代未聞の大量殺人だとか。でもそれは去年も確か聞いたことがあって、毎年毎年嫌味にも記録が更新されていることがわかる。ラスベガスで楽しくバカンスだったつもりが一瞬にして悲劇に変わってしまった。無差別で酷いことだと思う。また、犯行は用意周到にされていたらしく、警備が薄い32階のテラスから売っていたとのこと。容疑者は警察が来る前にすでに死んでいる。

 これを踏まえて今議論されているのは、銃社会がいいものかどうかということだろう。日本は銃社会ではないので、ライセンスがなければ銃刀法違反で逮捕される。けど、アメリカはそうではない。狩猟や単純にレクリエーションとして銃を使う人がいる。そして、家に銃を置いてある人は、少なくない。 それがこう言った銃を使う犯行をしやすい環境を作っているのだという主張がある。

 けれど、それで銃を持つことをやめてしまっていいのだろうか? 法を守るのはいつだって市民であって犯罪者ではない。犯罪者は、法があろうがなかろうが、銃を持つだろう。目の前に銃を向けられて対処の仕方がわからなければ、もっと死人が増えるだけではないか? この事件を見てそんなことを言っていた教授を思い出した。

 この事件では止めようがないかもしれないけれど、前に学校でマスシューティングの事件があった。その時、たくさんの児童が亡くなったのだけれど、犯人はたった一人。銃は無数に弾が出てくるわけではないのだから、弾変えの時は打てなくなる。教室に40人、人がいるのであれば弾変えの間に組み伏せることができなかっただろうか? 組伏せなくてもいい。椅子か机を投げたり逃げ出したりすることで、銃撃を遅らせることだってできたはずだ。”弾を変えている間は打つことができない”、という銃を持つ人ならば当たり前に知っていることを知らなかったため、誰も動けなかった。もし誰かが知っていたら、助けられた命もあったのではないか、というのが彼の見解だった。

 また、映画館には時々”警備員は銃を持っていません”と掲げているところがあるらしい。銃を持たずに銃社会に向けてメッセージをということなのだろう。でも、犯罪者側からしたらどうだろうか? 武器を持たない警備員がたくさんいますよ、さあどうぞ撃ってください。そういうメッセージになる。

 銃は危険だ。それは誰もが知っている。個人的には銃はなくした方がいいと思う。絶対にいい結果をもたらすことはないのだから。けれど、それを抑圧したからといってこの銃撃事件は防げただろうか? そして、それは銃をなくすということにつながるだろうか。それは、問題を背後に隠して、私たちは銃は良くないから取り上げますね。と言っているようにも聞こえる。それはとても聞こえが良く、積極的に銃の根絶へと取り組んでいるように見えるかもしれない。でも、それに伴って実際に犯罪率が低下するのかと思うと、ことはそう簡単にはいかないのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

言語

なんとなく、自分が日本語で喋っている時と英語でしゃべっている時で性格が違うと思う。いや、根本的には同じなのだろう(というか同じ)だけど、英語だと声が大きくなってちょっと低くなってガンガン言いたい事言う。 日本語だと元々そんなにしゃべらないけどさらに喋らなくなって聞き役に徹する...