なんとなく、自分が日本語で喋っている時と英語でしゃべっている時で性格が違うと思う。いや、根本的には同じなのだろう(というか同じ)だけど、英語だと声が大きくなってちょっと低くなってガンガン言いたい事言う。
日本語だと元々そんなにしゃべらないけどさらに喋らなくなって聞き役に徹する事が多い。
あと、議論をしたいと思った時に、なんとなく大阪弁や英語を使いたくなる。それは言語の特性上(というか私の勝手に作り上げた妄想上)、
大阪弁、英語→伝える言語
標準語→包みこむ言語
という認識があるからだと思う。話せないけど、スペイン語も伝える言語。ドミニカに行った時にそう思った。なんと言えばいいのかわからないが、やりすぎると攻撃的に聞こえるのがそれらの言語なのかもしれない(私にとって)。それがいいとか悪いではなくて、手持ちのカードが多いと、その状況にふさわしいところでその言語が使えるから、スムーズにいくなぁと思っただけ。
将来、脳みそにチップを入れてすべての言語が簡単に話せる時代が来たら、そういうことになるんじゃないかなと思う。話す内容によって、言語を変えていく。受けても話しても、”一番伝わりやすい状態”で臨むことができる。
ふむ、面白そうだ。
2018年1月31日水曜日
2018年1月12日金曜日
ローガンポールと人種差別
こないだユーチューバーのローガン・ポールが樹海に入ってアカンことになった動画が問題になった。それから次々に彼の差別的発言や行動が発覚している。
これって、アメリカを自由の国だと思っているときついかもしれない。特に、アジア人として考えると、
”アフリカンアメリカンほどの差別は受けないけれど、不快に思うことが多々ある”
ぐらいなので、あまり話題にならない。むろん、ハリウッドにしてもメディアにしてもアジア人の占める割合は大きくない。また皮肉にも、その役が”訛りつきでなければいけない”時もある。アジア人=英語ができない。というレッテルは存在する。2世3世は、英語しか知らない人もいるにも関わらずだ。
そういうステレオタイプが根底にあるので、不愉快なことはある。でも、それを大々的に取り上げずに”我慢してくれ”と言われる。しかも、差別の仕方も(ローガン・ポールは明らかにアカンやつだったけれども)グレーゾーンなのだ。
例えば、この間Uberを使った時、
”英語をしゃべれますか?”
と尋ねられた。 ええ、と言うと、
”あ、よかった。しゃべれない人もいるから一応ね”
と言われて苦笑。
あるいは、バーで酔っ払った白人の女の子に
"You're beautiful. Everyone is beautiful. No matter what your race is! You should be proud of yourself."
と言われて、
"Son of a ..."
と思ったのは記憶に新しい。 それは全てを許容していない。ただ、優しい言葉をかけているように見せて、違いをくっきりさせているだけに見える。”私たちは世間で可愛いと言われる分類に入るけど、入っていないあなただって綺麗なのよ。”という隠喩、インプリケーションが見え隠れする。
"I wish you could say it to me before you drink as hell."
といえばよかったのだろうか。酔っ払ってボロが出るのは会社の飲み会だけじゃない。女子大生も同じだ。
この二つは、怒りの矛先を非常に向けづらい。なぜかっていうと、悪気がないから。 でも、紛れもなく私の顔を見て言われた言葉だ。アジア人だから英語ができないかもしれない。アジア人だから劣等感を抱いているかもしれない。
そんなことないのに!
日本も非常に差別的であるとは思うけれど、アメリカもまた違ったベクトルで差別的だということはちゃんと知る必要がある。ゆくゆく日本がもっと多様化してきた時に(あるかどうかは知らないが)、同じ過ちを繰り返さないために。
これって、アメリカを自由の国だと思っているときついかもしれない。特に、アジア人として考えると、
”アフリカンアメリカンほどの差別は受けないけれど、不快に思うことが多々ある”
ぐらいなので、あまり話題にならない。むろん、ハリウッドにしてもメディアにしてもアジア人の占める割合は大きくない。また皮肉にも、その役が”訛りつきでなければいけない”時もある。アジア人=英語ができない。というレッテルは存在する。2世3世は、英語しか知らない人もいるにも関わらずだ。
そういうステレオタイプが根底にあるので、不愉快なことはある。でも、それを大々的に取り上げずに”我慢してくれ”と言われる。しかも、差別の仕方も(ローガン・ポールは明らかにアカンやつだったけれども)グレーゾーンなのだ。
例えば、この間Uberを使った時、
”英語をしゃべれますか?”
と尋ねられた。 ええ、と言うと、
”あ、よかった。しゃべれない人もいるから一応ね”
と言われて苦笑。
あるいは、バーで酔っ払った白人の女の子に
"You're beautiful. Everyone is beautiful. No matter what your race is! You should be proud of yourself."
と言われて、
"Son of a ..."
と思ったのは記憶に新しい。 それは全てを許容していない。ただ、優しい言葉をかけているように見せて、違いをくっきりさせているだけに見える。”私たちは世間で可愛いと言われる分類に入るけど、入っていないあなただって綺麗なのよ。”という隠喩、インプリケーションが見え隠れする。
"I wish you could say it to me before you drink as hell."
といえばよかったのだろうか。酔っ払ってボロが出るのは会社の飲み会だけじゃない。女子大生も同じだ。
この二つは、怒りの矛先を非常に向けづらい。なぜかっていうと、悪気がないから。 でも、紛れもなく私の顔を見て言われた言葉だ。アジア人だから英語ができないかもしれない。アジア人だから劣等感を抱いているかもしれない。
そんなことないのに!
日本も非常に差別的であるとは思うけれど、アメリカもまた違ったベクトルで差別的だということはちゃんと知る必要がある。ゆくゆく日本がもっと多様化してきた時に(あるかどうかは知らないが)、同じ過ちを繰り返さないために。
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