2017年10月1日日曜日

泣ける映画

 感動する映画は沢山ある。そして思わず涙がこぼれてしまう人もいるのではないかと思う。でも、私にとって”泣ける”映画は、私が当てはまりそうな場面だったりする。「親、祖父母が死ぬ時」これがダメなのだ。子供用の映画でもダメ。涙腺が必ず崩壊する。多分これは、一人暮らしをしていて、もしも自分が死に目に間に合わなかったらと思うとたまらないからだと思う。誰かが死んだのに、

「ごめん、学期の真ん中で来週ミッドタームだから日本に帰れないかもしれない。お葬式はよろしくね」

 なんて言いそうな自分が恐ろしい。誰か自分の大切な人の最期を見届けてあげられなかったら、一生後悔する気がする。それでもそうしてしまいそうな自分を、映画を通して見てしまうのだろう。ボロボロと泣いている自分は感動よりも若干の罪の意識に苛まれているような気がする。実際まだそういう事態にはなっていないのだから、妄想ぐせはよろしくないとは思うが、どうもダメだ。

 そして、今日もう一つ、ボロボロと泣きだす項目が一つ増えた。このユーチューブビデオを見て、泣けた。

https://www.youtube.com/watch?v=uVvbh2_Oh94

 これを見ながら一人部屋でボロボロと泣いてしまった。帽子をかぶった男の子が、「差別された時は強くて気にしないふりするけど、家帰ったら泣いている」と言っていて、どうすればいいのかわからなかった。

 先学期うちの大学で、レイプ事件があった。メールが一斉送信されてきたから覚えている。その時に、アフリカンアメリカンのクラスメイトが、「When I get a mail, I was like "Don't black. Don't black!!"」 と言っていたことを思い出した。アフリカンアメリカンは、悪いイメージを植え付けられているから、これ以上酷くならないようにと思ったらしい。言葉が出ない。

 シリアから来たという女の子が、「もし私が選べるのだったら、シリアに残っていた」と言っていて、なんとなく在日韓国、中国人を思わせた。ビジネスで来た人もいるかもしれない。けど、残りたかったのに来た人だっているだろう。少し前に確か教育費か何かの補助の問題で、「日本人じゃないんだから、援助がなくて当然でしょう」と言っていた人がいて、傷ついた。悲しい。何をもって日本人と言っているのか。ちゃんとした教育を受けることができていない”日本人”に対して、

「日本人だから人のことを助けるわけじゃないでしょう? それとも何? 日本人だから助けない、と言われたらどう思うとかって思わなかったの? っていうか、人には名前があるの。私は日本人ですなんて自己紹介の時に言わない。私は黄間です、という。それからどこから来たのと聞かれて日本人と答えますけどね。子供たちには未来があって、日本の中では学歴がほんのすこしだけ大切だから、同じように教育を受けさせてあげたいと思うことはおかしいこと? 日本語がしゃべれないと大変だから、もう少し援助が欲しいと思うことがダメなこと? 日本は英語が通じるところも限られているんですよ。大変なの。助けが必要なの。どうしても必要だからお願いしているんですよそういう人たちは」

 と言いたい。これを言うのは間違っているかもしれない。あくまで私の個人の意見であるけれど。

 何も変わらないのにと思う。文化が違うし、社会背景が違うのは知っている。けど、みんな喜怒哀楽があることは知っている。私は感情論が好きなのかもしれないけど、感情から論理を考えるように、思考のプロセスを変えてはいかがだろうか。

 虐げられて人が辛そうにしている映画を見たら、どんなに悪い、棒読みの映画だったとしても、きっと私は泣き始めるだろう。泣くことがいいのか悪いのかはまた置いておく。人それぞれの受け取り方はあると思う。けどとりあえず、私は弱いから泣く。それだけ。
 

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言語

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