2017年10月8日日曜日

冷房の温度が一体何度なのかとても知りたいのだけど

 夏休みの話になる。私は夏学期も履修していたので、もれなく学校へと毎日で向かうことになっていた。学校の冷房はとても効いていた。この”とても”というのは、快適であるところから大きく外れてとても効いていたので、私の教室にはハイネックとジャケットが必要だった。もう少しで、家の奥にしまっていたブランケットを引っ張りだし、学校へと持って行こうかと考えたぐらいだ。

 それでも外は夏仕様なので例え8時からの授業だとしても炎天下である。いちいちカーディガンを持ち歩かなければいけなくて面倒くさかった。しかも一括統制なのか、温度の上げ下げができない。ON/OFFすら変えられないのだからこっちはガタガタ震えながら授業を受けなければいけないのは複雑な気分になる。外と内、足して二で割ってくれたら丁度いい温度になるのに。外は無理でも建物内ならそういう風に設定することだった可能なのに。全力で恨んだところで結局学期中変わることはなかった。

 日本では省エネなんて言って随分経つけれど、アメリカには省エネのしょの字も見受けられない。冬並みに寒い冷暖房を筆頭に、水、電気(つけっぱなしが多い)、リサイクル、その他もろもろあまり気にしない。先進国のトップを走るアメリカは、全くもって環境に優しくないわけで、それじゃあCO2がどうのこうのと言っているのも頷けるわけである。(エネルギー消費に関しては全く無知なので、CO2が本当にどうのこうの言われているのかは知らないけども。)

 日本も人口が多いけれど、アメリカの方が多い。土地も広いし工場も沢山ある。それらが本当に無神経にものを無駄にしていれば、環境が改善されることも、エネルギーをうまく守っていくこともままならないだろう。

 ただ、広大な土地を生かして大量のソーラーパネルや風車を見ることはよくある。日本の比じゃなく、ただ広い草原にブウァーーーーーーっと並ぶソーラーパネルは壮観である。割と電力もそこで賄えているのではないかなぁとも思うけれども、使用量と、自然エネルギーからの配給量が果たしてどれぐらいなのかは疑問が残る。

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